鹿狼山から  
43 〜釣師防災緑地植樹祭    小幡 仁子

先日、3月25日に新地町の「釣師(つるし)防災緑地植樹祭」に参加してきました。東日本大震災の時、海岸沿いは大津波により壊滅的な被害を受け、3つの集落が跡形もなく消え去りました。釣師浜地区はその中でも海水浴場や漁港、民宿や旅館があって、最も賑わっていたところです。震災後すぐに、ここは危険地区に指定され、人家は建てられないことになり、防災緑地公園になることが決められました。
 この7年間、国道6号線から東側は嵩上げ工事が続いていました。あちこちから来た大型トラックが土や砂利を運んで行き交っていました。ずっと「関係者以外立ち入り禁止」や「通行止め」の柵があり、立ち入ることはできませんでした。時々町から発行される広報や、復興だよりで進行の度合いが分かりました。
 
 今回、植樹祭で500名の募集があり、あの釣師地区がどのようになったのを見てみたいと思って、姉と友人の3名で応募しました。また、昨年11月に南相馬市博物館で福島大学教授・黒沢高秀先生の講演で、復旧・復興事業の際に生態系への配慮が行われ、新地町防災緑地に2haの塩性湿地ができる、ということを聴いていたので、確認したいという気持ちもありました。
 
 植樹祭には子どもから大人まで500名を超える人々が集まっていました。開会式に先立ち、震災で亡くなった方々に黙祷が捧げられました。青く穏やかな海が目の前に広がっていましたが、あの時、この海は真っ黒な牙をむいて襲いかかってきたのです。自然の脅威の前に私たちは為す術もありませんでした。
 
 集合場所の釣師浜漁港は、震災前と同じ場所にあり、建物も以前の面影がありました。隣に釣師浜海水浴場があり、息子達が幼いときは遊びに連れて来ていました。姉と私は、この辺りの作りは前と同じだねと話しました。前と違うのは、あれほど続いていた町並みが全然ないということです。
 
 さて、10グループに別れて、堤防の後ろにある平地と法面に植樹をしました。グループの中には自宅で育てたドングリの木を持ってきていた方もありました。18haの植樹と聞きました。私は持参した剣先スコップで法面を掘りました。堅くてなかなか掘り進めることができませんでした。法面は下から上までは5〜6m位あるでしょうか、植える場所が50cm間隔で10カ所くらい印が付けられていました。真ん中の2カ所がドングリの木で他はクロマツを植えるようになっていました。 植樹の時間は1時間ほどでしたが、ずっと掘っていたので汗が流れました。「ガチッ」と音がしました。何かと思ったら、それは屋根瓦のかけらでした。「瓦のかけらが出てきた」と側で植えていた人に声をかけました。「この辺りの瓦礫をここに盛ったんだろうからね」とその方は言いました。
 
 7年前までは、ここには赤い瓦屋根の家並みがあったことを思いました。人々の日常生活やそれまでの地区の歴史がありました。家も生活も歴史も瓦礫となり、防災緑地の中に埋もれて眠ってしまうのだと思いました。空しいような、悲しいような気持ちになりました。
 
 思えば人間は、太古の昔からこのような自然災害に幾度となく襲われ、生き残った者は智恵を絞って生活を再建してきたのでしょう。防災緑地を作り、クロマツやドングリの木を植えて津波からの減災をする、そのための植樹祭だとなれば、参加者の行動は納得のいくものかと思います。しかし、嵩上げのためにあちこちの山は無くなってしまいそうです。今回の復興のあり方が良かったのかどうかは私には分かりません。また、年月を経てみないと答えは出せないものかもしれません。
 
 2haの塩性湿地がどこにあるのかは確認できませんでした。防災緑地は広く、今回の植樹地はほんの一部にすぎません。また見に来たいと思いました。(2018/03/27 記)

  
自宅で育てたドングリの苗  植樹の場所に移動  土を掘ると屋根瓦のかけらが出てきた