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12月10日は嬉しい日でした。常磐線・相馬〜浜吉田間が運転再開したのです。私の地元新地駅から仙台へ乗り換え無しで行けるようになりました。今までは、JR代行バスで亘理駅まで行き、そこから電車に乗り換えて、手間も時間も多くかかりました。震災から5年9ヶ月、長いような短いような日々でした。
新地駅前で安倍総理を迎えて記念イベントや開通式を行うという事でしたが、私は鹿狼山に行きました。頂上直下の眺めの良い場所で写真を撮っている方がいました。電車の走る姿を撮ろうと思ってきた、とおっしゃっていました。地元の方でした。実家の母は記念旗を振りに駒ヶ嶺駅まで行きました。旗を振ると運転手さんが敬礼して応えてくれたと喜んでいました。
あの震災の津波で常磐線・新地駅は流されてしまいました。2011年3月19日に撮ったのが3枚目の写真です。横転した電車と駅ホームの残骸が残りました。でも、たまたま乗り合わせていた3名の警察官が乗客を上手く誘導してくれたので、誰も亡くならないで済みました。しかし、津波後の光景は誠に悲惨なもので、毎日目にする度に不安感に襲われ、具合が悪くなりそうでした。駅の残骸や車両は、間もなく大型車両がやってきて片付けられ、その後は通行止めになって入ることはできませんでした。
町の広報では色々なお知らせがありました。電車の線路だった所を嵩上げして道路にし、防波堤と道路で町を津波から守るということでした。大型トラックが砂や砂利を毎日運び込んでいました。鹿狼山の南隣にあった二鞍山も大部低くなってしまいました。
新地駅に行ってみました。駅構内は小綺麗で明るくて、以前の古い駅とは較べようもありませんでした。電車は相変わらず、通勤・通学時間を除いては、1時間に1本のペースなので、あまり人はいませんでした。駅前はきれいに整地されて、これから住宅や商店などが誘致されるということですが、今はほとんど何もありません。鹿狼山がはっきり見えました。以前は住宅の陰になってこんなにはっきりとは見えなかった気がしました。
偶然、同級生のS子さんに出会いました。確か震災前に家を新築し、弟と二人暮らしをしていたと思いました。ずっと会っていなかったので、どうしていたのと尋ねました。震災後、弟が身体を壊してしまい、新地町の自宅から仙台の会社に通いきれなくなって、仙台の社宅に二人で引っ越しをして住んでいたそうです。今度、電車が再開をしたのを機に、戻ってくることにしたと言っていました。それは良かったね、と言うと、嬉しそうに「やっと家に住めっから」とほっとした様子でした。せっかく家を新築したところに震災が起きて、弟も身体を壊し、彼女の生活も心配だらけだったことでしょう。「12月10日は仙台発の1番電車に乗って新地まで来て、次の電車でまた仙台に戻ったんだ」と彼女はにこにこして、ちょっと恥ずかしそうに教えてくれました。待ちに待った運転再開。彼女の喜びは私の何倍以上だった模様です。 (2016/12/24 記)。
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