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鹿狼山から |
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私の住む新地町には仮設住宅が数カ所あります。大津波により家を流された沿岸部の方々が住んでいます。また、福島第一発の放射能汚染から逃れ、この新地町の仮設住宅に住んでいる方もいます。東日本大震災から2年が過ぎ、町では災害公営住宅事業や防災集団移転促進事業が始まり、あちこちで大型重機の音が鳴り響き、大型トラックが往来しています。鹿狼山に登ると、宅地造成の赤土部分が点々としているのと、常磐自動車道新地ICの工事現場が真下に見えます。常磐線新地駅は流され、相馬−浜吉田間は電車が走っていません。新しい線路は6号国道沿いに作り、前の線路は土砂を嵩上げして道路にする計画です。堤防と道路を作り、津波に対して二重に備えることになっています。そして、宅地や被災した沿岸部の開発には大量の土砂が足りないので、横浜市と協定を結んで、横浜市の公共工事で発生した土砂を提供してもらうことになりました。工事はどんどん進んでいるので、来年になれば新地町もずいぶん様変わりすると思われます。
震災前ならば、森林がなぎ倒され赤土がむき出しになったり、遠いよその地区から土砂が大量に運ばれたりすることに、違和感や不安感を持ったかもしれません。かなりの自然破壊だし、よその地区の土砂にはこの土地にはない様々な種子が混じっていることでしょう。自然への悪影響が考えられます。しかし、今の状況を見る限り、この町が選ぶ道はこれしか無いのだという気がします。沿岸部は危険区域に指定され、人は住めないし、1,000人を超える方が移転しなければなりません。常磐自動車道も、福島第一原発の放射能汚染で原町IC以南はいつ開通になるか分かりません。しかし、この地方が置き去りにされないために、仙台まで早急につなぐ必要があるのだそうです。人は考える余裕も時間も無く、現実に押し流されて行くようです。
応急仮設住宅の住んでいる方の話を聞くと、冬は結露がすごくて、毎朝起きるとまずタオルで拭くのが日課であるとか、薄い壁1枚だけで隣の家と仕切られているので、大きい音を出さないように気を遣いながら生活しているとか聞きました。そんな仮設の生活から抜けて、早く以前のように自分の家で気兼ねなく生活してほしいとは誰もが思うところです。町の広報には、毎月のように住宅造成の記事や新しい団地のプランが載っています。
さて、最近、町内に家を新築し、仮設を出た方々もいます。5軒以上でまとまれば、優先的にガスや水道の工事をしてくれるそうです。ただ、誰と一緒にまとまるかが大きな問題であると聞きました。誰でもお隣には気の合う方に来てほしいでしょう。まとまるのも様々な思惑が絡み大変なようです。また、家を建て住んでみると、今までとは違う地区の習慣というものがあり、入った方も受け入れる側も戸惑いがあるそうです。沿岸部では漁師や民宿等で生計を立てていた方が多く、山側に住み田畑を耕してきた農業者とは気質が違うのでしょう。今までは田畑に堆肥を置きっぱなしにしていても、みんながお互い様だからということで、文句も言われないで過ごしてきたが、これからはそういかないだろう、臭いとか虫が来るとか言われそうだ等、心配しているのでした。
考えてみれば、人口8,000人余りの小さな町ですが、15の行政区があり、地区毎に神社や集会所がありました。お祭りや行事、隣組との関係もありました。人間関係が希薄になりつつある昨今ですが、まだ地区のコミュニティは生きていました。今回の震災でも、おおよそ、地区ごとの仮設住宅があり、地区のコミュニティが失われないように配慮されています。住宅地の造成が終わり、家を建てて移転したら移転先の行政区の一員となるわけですが、どのようにコミュニティは変化していくのでしょうか。仮設住宅の不自由な生活が終わり、引っ越しができれば元の暮らしに戻れるかというとそうでもないようです。地区で近隣の人々と安定した関係を築きながら住むには時間もかかるでしょう。また、いろいろな面で折り合いをつける必要がありそうです。(2013.6.12記) |
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狭い仮設住宅 |
宅地の造成が進む町の様子 |
鹿狼山から見える造成地 |