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鹿狼山から |
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私が住む新地町は東日本大震災の大津波により甚大な被害を受けました。今も沿岸部は瓦礫こそ撤去されましたが、防波堤の残骸とコンクリート基礎だけ残る家々が、津波の破壊力のすごさを伝えています。ここに来る度に自然の猛威の前に、人は無力であることを感じさせられます。震災前は数メートルの高い防波堤により、町内や6号国道からは海が見えませんでした。震災後は至る所から海が見えるようになり、自分たちが海のすぐ側に住み、大津波がきたら命の危険があることを実感しています。 この大津波で新地町では100人を超える方が亡くなられました。その中に高校を卒業したばかりの若者達が10人いました。私の次男の同級生達でした。今年1月は町の成人式に新成人として出席し、大人への門出をみんな揃って祝うはずでしたが、それは叶わぬこととなってしまいました。 成人式の当日に、私はスーツ姿の次男を連れて実家に立ち寄りました。父は「おお、カッコイイなあ」と目を細めて喜んでいました。次男の時は東日本大震災により、入学式はありませんでしたから、初めてスーツ姿を見たのです。そのうちに、「ネクタイの締め方が良くないから」と言って、自分のネクタイを持ってきて教え始めました。次男は教えられるままに締め直していました。母はそんな二人を嬉しそうに見ていました。母は次男が立ち寄る度に、この大津波で亡くなった自分の実家の孫息子を思い返して言うのです。たった一人しかいない孫息子なので、叔母は手塩にかけて育ててきました。2年前、叔母もいとこも地元に就職が決まりとても喜んでいたのでした。今は毎朝、遺影に向かって「今日も気を付けて仕事に行ってくるんだよ」と声をかけているのだそうです。そんな話を聞くと、あの若者達10人の家族がそれぞれに悲しみを新たにして、この成人式を迎えているように思いました。 さて、成人式会場に行ってみると、懐かしいお母さん達も沢山おりました。女子は和服で着飾りきれいに化粧をして、初めは誰か分かりませんでした。町内に中学校は一つしかありませんから、みんな中学校の同級生達です。83名が新成人となりました。笑い声に包まれ、写真を撮り合い、和気藹々の雰囲気でした。私も誘われるままに式場の後方席に座りました。次男も友達と一緒に着座しているのが見えました。式に先立って、この津波で亡くなった10名の名前が読み上げられ、参加者全員で黙祷を捧げました。その子ども達の顔が思い浮かびました。幼馴染みのTちゃんの息子、いとこの息子の名前もありました。お母さん達もハンカチを出して涙を拭いていました。 新成人代表は涙ながらに「私たちは、大津波により、亡くなった同級生の分まで生きたいと思います。この成人式では10人の思い出を私たちの心に改めて刻もうと思います」と述べていました。また、「新成人フリートーク」の時間では大学で法律を学んでいるという若者が「僕たちは、10人もの同級生を津波で亡くしました。人の死というものを目の当たりにして、自分は日本にある死刑制度というものを考えていきたいと思っています」と話していました。記念アトラクションでは、アルパのミニコンサートがありましたが、奏者の方に「今までに成人式の記念コンサートには何度も呼ばれましたが、一番静かに聴いていただきました」と言われました。 式の最後に記念撮影がありました。若者達はステージ前に集合し、写真屋さんの声がけに応じて写真を撮りました。母親グループもカメラを持って前に進み、若者達の晴れ姿を撮りました。1回目の撮影が終わると、若者達は亡くなった同級生の遺影を取り出してきました。2回目の撮影となりました。遺影は最前列で仲良しの友達の膝に抱かれました。「広報新地2月号」には遺影を持った集合写真が掲載されていました。
大津波により10人の同級生を亡くしたことは、若者達の心に一生残り、折に触れては人の生と死ということを考えさせてくれることでしょう。日々を大切にし、亡くなった同級生の分まで強くたくましく生き抜いてほしいものです。(2013.3.17) |
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防波堤は壊れたまま |
基礎のみ残る家 |
新成人の若者達 |