鹿狼山から  
23 〜阿武隈の山々〜    小幡 仁子

 11月になり、標高の高い山では紅葉が終わり、吾妻・安達太良の峰々に雪の便りが訪れると、阿武隈の山々が恋しくなる。阿武隈山系では11月を過ぎると紅葉が美しい。また、人里近いこともあって、日没が早くなるこの時期に時間もかからず安心して山に登れるのが良いのである。震災前の2009年と2010年の2年間だったが、「阿武隈強化月間」と称してこの時期に阿武隈山地をみんなで歩いた。小春日和の中、落ち葉を踏みしめながらの陽だまりハイキングは何とも言われない安らぎがあった。そして、のんびり歩く里山には芋煮汁がよく似合うからと言って、山頂で熱々のお汁をふうふうしながら食べていた。鼻水をすすりながら食べる芋煮汁は格別に美味しかったなあ。

訪ね歩いた山の中には浪江町の手倉山(631m)や戸神山(430m)があった。苔むした祠や石仏に古くから里山として地域の人々と関わってきた歴史が感じられた。手倉山の頂上岩場には立派な神社が鎮座していた。手倉山に登ったときは風が冷たかったから、その岩の陰で風を避けてお汁を食べたっけ。みんな「美味しい、美味しい」と言って食べていた。そして、高瀬川渓谷の紅葉は息を呑むほどに赤く美しかったのを覚えている。大熊町の日隠山(601.5m)にも行った。モミの大木が林立し素晴らしく立派な山だった。しかも明治時代まで登山道が「塩の径、鉄の径」として使われていたというから、歴史的にも価値のある山だったと思う。しかし、これらの山は、原発事故による放射能汚染により、今では登ることのできない山となってしまった。先日調査した飯舘村の野手上山でさえ13μ?/h(地面)を超えていたから、さぞ高レベルに汚染されていることだろう。残念でならない。こんな事故さえなかったら、また行くこともできただろうに。

さて、1216日(日)は鹿狼山の登山道整備と掃除があった。主催は地元新地町にある山の会である。鹿狼山は阿武隈山系の北外れにあり、幸運にも放射能被害からは免れている。土日だけでなく、平日も登る人は多い。先日、私が久しぶりに鹿狼山を登っていたらS氏に会いこの話を聞いた。「山の会の人だけでなく、鹿狼山に世話になっている方にも呼びかけているんです」とS氏は言った。「鹿狼山の世話になっている方」という言葉がとても心に残った。私は鹿狼山にはずいぶん世話になっている。春夏秋冬(夏はキツネノカミソリの時だけ)暇があればこの山に登り、花の写真を撮り、植物を観察し、季節の移ろいを楽しんできた。鹿狼山に何かお返しをしなければならない。お掃除くらいはしよう。そう思って参加することにした。

朝、9時に鹿狼山駐車場に行ってみると、20名以上の方がスコップや竹箒などをもって集まっていた。ほとんど中高年の男性で、女性は私と年配の方の2名だけだった。これは男性の仕事だったかといささか気後れがした。山の会会長や事務局長の挨拶があった。「年末の忙しいときに皆様には〜」と始まり「〜鹿狼山の神様も喜ばれると思います。」という結びだった。また、鹿狼山神社氏子総代という方の挨拶は「山の会の皆様にとっては登山道ですが、私たち氏子にとっては参道というわけで、整備していただくことを氏子を代表して御礼申し上げます。氏子一同も来週は参道を掃き清めます」ということだった。また、新地町からお茶ペットボトルが提供されていた。鹿狼山が地域に根ざし、人々から感謝され、いつも大切にされていることを改めて感じた。

ところで、私は登山道整備といってもスコップを使うような仕事はできないと思い、庭箒を持って参加したのだった。男性陣が石段脇の掘れたところを直すと石段が泥で汚れるので、そんなところを掃いたり、石段に降り落ちた葉を掃いたりしていた。あんまり役に立っていないなあと思っていたら、「そうやって掃いてもらえると石段がきれいになっていいですねえ」と言われほっとしたのである。箒を持つ手にも力が入った。登山道を上ってくる人達が、口々に「ご苦労様です」と言ってくれた。女の人が一人で登ってきて「ここは一人で来ても安心だからよく来るんですよ」と話かけてきた。久しぶりに同級生二人にも会えた。一人は津波で家を流されていた。「俺も一時はまいったが、今は何とかやってっから」と彼は言っていた。

鹿狼山は良い山である。しかし、浪江町・大熊町の山々は、これからもずっと地域の人に整備されることも、参道として掃き清められることもないであろう。悲しくてならない(2012.12.22)。

 

戸神山の石仏

登山道整備には沢山の人々が来た

整備の様子