★ 2011年3月15日、午後から天候がくずれ、雪まじりの降雨となった。この季節になるとよくある天候の変化であるが、その雨は日本に60年以上ぶりに降った3回目の雨。
★ 2007年7月12日発行「植物が語る放射線の表と裏」(鵜飼保雄著)を読む。集団遺伝学に基づいた解析は冷静で好感。今回の事故前に出版された脱原発を主張しない脱原発の書。
★ 「ふくしま」=放射能で汚れた地域のイメージが汚みついた新たな偏見と差別。
★ 想定外の事象;『原発御用学者』は悔恨を懐に被災地を走り、『脱原発運動家』は彼の地で「逃避」を叫ぶ。『公僕』はシェルターに閉じこもって「安全」を宣言する。環境汚染でありながら、「環境」という言葉が使われない「公式」除染指針。
★ 「被災地で生活」する者が欲しいのは過去のレッテルではなく、ともに寄り添う同胞。
(2012年3月17日)

 
 東京電力福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染が発生してからまる3年が経過した。事故直後、ドイツ政府は原子力発電をゼロとする政策を決定した。事故当事国の日本政府は、エネルギー基本計画の序文から東京電力福島第一原子力発電所事故への「深い反省」を削除し、原子力発電をベース電源として位置づけるという。加えて、トルコなどへの原発技術輸出を積極的に推進するのだという。原発立国フランスならともかく、広島、長崎以来、再三再四原子力の深刻な被害を被ったにもかかわらず、現実を直視できない日本政府の救いようのない愚かさに暗澹とする。この3年の間に、原発の安全性を保障する新技術の開発がされたという話は聞いたことがない。また放射能廃棄物処理についても同様である。にもかかわらず、現政権は「安全を確認し、慎重に・・・」と観念的な言葉遊びに終始している。まるで、3年前の事故はまぼろしでもあったかのような振舞である。事故当事県・福島の自然は、深刻な環境汚染を被った上に、「仮置き場」を確保するため森を切り開き、自然エネルギーを確保すべく山や沿岸部の開発計画が進行している。トカゲの尻尾切りのように、事故の後始末を福島で自己完結させようとしているかのようである。この国は狂っていないだろうか(2013年12月31日)。